右は今まさに進もうとする道を示す地図である。 青い線が標高610mをピークとする距離約4.5kmの「冬住林道」で赤い線は原町森林鉄道探索で馴染みになった「助常林道」(距離約10km)であるが、冬住林道との分岐から赤の破線までの約6kmは今回初めての道である。 ※写真をクリックすると画像が大きく表示されます。 |
当たり前といえばそうなのだけれど、ゲートの先の道はさっきまでの廃道とは違って現在も使用されている道である。 道の西側は深い谷になっており、人家や牧場が間近に見える。 小心者の私は早く過ぎ去りたい思いでひたすらペダルを漕いだのである。 故に、この付近の写真は一枚も撮っていないのである。 |
多少のアップダウンはあるもののチャリでも走り易く、やはり生きている道は違うなあ、などどサイクリング気分を楽しんでいたのは残念ながらここまでだった。 ひたすら押し続けた八木沢旧道の憂さを晴らすようにペダルを漕ぎまくって来たのであるが・・・。 私の脚はペダルを漕ぐ事を諦めた。 砂利である。まだ撒かれてから間もないのか、その上を通る車の絶対量が少ない為なのか、坂道に撒かれたその砂利は浮石となり力む程に後輪を空転させ、その度にバランスを失うといったまさにエネルギー負の連鎖 とでも云うべき状態に陥ってしまったのである。 ・・ここで一句・・ 「足掻く(あがく)ほど 力失う 砂利地獄」 ハイ、非力ですいません。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 | |
いい加減砂利地獄にも飽き飽きした頃、山中には似つかわしくないような綺麗なカーブミラーを前にして一休み。 しつこいようだが、砂利にしろこのカーブミラーにしろ人の手が入っているという事実を強く感じるのである。 自分の日常生活と離れた世界に足を踏み入れているというのは錯覚であり、ただ単に生活の場所が違うだけなのである。 自分にとっては普通の場所でも、或る人にすれば非現実的世界なのだろう。 故に私は今この場所で嬉しそうにシャッターを押しているのである。 | |
↓画像をクリックすると拡大します。 |
両脇を木々に囲まれた道を進んで行くと少し開けた場所に到達する。そこは三叉路のようであり自然の緑に慣れた眼にはドキリとさせられる青いトタン壁の小屋が建っていた。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
小屋は林業関係者の休憩所なのだろうか、辺りに人影が無いことを幸いに見学させてもらった。 小屋周辺の下草もきれいに刈られ、入り口脇には薪も蓄えられている事から、この小屋がきちんと管理されている様子が伺える。 |
|
では、中を拝見。 おっー。薪ストーブ! まあ、外の煙突から察しはつくけど・・・。 実を言えば私、この薪ストーブに密かな憧れを持っていたりして。 高級感は無いけど、質素で素朴な雰囲気が良いだけれど、どうだろう? ちなみにこのタイプは時計型と呼ばれている物だと思う。他にタマゴ型というのもある。 ・・・・・・・・ チラチラと雪が舞い始めた午後、私は小屋の畳に寝そべって本を読んでいる。 傍らではヤカンが白い湯気をあげている。 小屋は静寂に包まれており、聞こえるのは頁をめくる音と、ストーブの薪がはぜる音だけである。 ・・・・・・・・ 妄想終了(笑) |
いかんいかん、妄想に浸っている場合ではないのである。 先に進まなくては・・・。 写真は小屋の前の土手に立つ看板である。 所在の欄に南相馬市とある事からこの看板も最近作られた物なのだろう。原町市から近隣2町との合併で南相馬市となったのは2006年のことである。 保安林の区分番号を示す案内地図のようであるが、委細は分からない。 ただ、興味をそそられたのは林道の名前である。 「バラ坂林道」「太古林道」「沼ノ平林道」 バラ坂とは、なんか痛そうだけど、太古林道は恐竜でも出てきそうな雰囲気だな。 |
|
←マウスを乗せると画像が変わります。 |
小屋を出発してから300mは走っただろうか? 道から少し奥まった場所に1台の車が停まっていた。少しばかりドキッとしたが、これだけ整備された道で車の1台や2台と遭遇しないはずはないのである。 でも、林道の起点はゲートで封鎖されていたよね? 地図で見る限り、車が停まっている道は1km程その先に続いてはいるようだけど、行き止まりぽいっし。 ドアミラーを倒し、道脇に寄せて停めてあるのは通行の妨げにならないようにとの配慮だろう。 付近に人の姿を見つける事は出来なかったが、たぶんこの時期、山菜採りなのだろうと自分勝手に判断し、近づいて見る事は控えた。 しかし、乗用車でこの林道に入って来るとは・・・。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
先の三叉路から道は下り坂となりホッとしたのも束の間、再び道は上りに転じた。 時刻はすでに正午を過ぎた。この道のピークで昼食を摂る予定だが、いったいそれは何時になるのだろう? チャリを降り、暗澹たる思いで歩き始めた。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
先にこの道のピーク云々と書いたが、この冬住林道のピーク(標高が一番高い場所)が4箇所ある事が地図で確認できる。 右の地図の赤い丸で囲んだ地点がそれである。便宜上No,1〜No,4と番号を振ったが全て600mを示す計曲線の内側に主曲線1本の標高610mである。 今私がチャリを引きずるように目指しているのはNo,1のピークであるが、もちろん最終目標はNo,4のピークである。 私は何としてもNo,4のピークまで辿り着かなければならないのである。 何故なら、その先4.8kmは新田川に続く下り坂となるからなのである。 ケツを押され続けた愛車ロッキー号が自転車に戻る時なのである。(涙) |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
上りに転じてから10分、距離にして約900m、ピークNo,1が目前となった。 高低差にして60mをチャリを押して登ってきたのだが、まだ20mは登らなければならないのである。 嘆かず、喜ばず。 「終わりの無い坂道は無い」のだから。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
ピークNo.1を過ぎ、やや下ってまたすぐに上りとなった。 しかし、結末を見通せないカーブを前に、痺れる脚とは裏腹に心は躍るのである。 我ながら、説明のつかない想いに苦笑する。 写真はピークNo.2より振り返り撮った一枚で、空が近い。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
左の写真はピークNo,2を過ぎ、「まだ上るのかよー」と嘆きつつも
曲線を描きながら空に続くかのような道の姿に、しばし見とれて撮ったものである。 標高高き場所を通るこの冬住林道の特徴を一番に示す場所であろう。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
いよいよ、その時が迫っている。そんな思いに気持ちは昂ぶりを隠さないが、身体は正直である。
あのカーブの先に見える空間がゴールであろうともそれを駆け抜ける力などハナから無いのである。 砂利を踏み、押し上げる。 淡々と。 |
|
この先が最後か、このカーブが最後かと自分勝手な思い込みに何度も裏切られてきたが、さすがにこれが本当の最後だろう。 空と接するあの場所こそ、この道の最後の頂に違いない。 |
|
↓画像をクリックすると拡大します。 |
マウスを乗せると画像が変わります。 |
ここに来ていまさらなのだが、ちょと引っ掛かる事があるので確認しておきたい。 左の写真は前出の作業小屋前に掲示されていた「水源かん養保安林」の案内図を追記拡大したものである。 この案内図からすると冬住林道は県道12号線から赤丸の下「冬住林道?」と書いた場所までをいうようであるが・・・ 「えっ?」 何処が「えっ?」なのかと言えば赤丸の箇所である。 |
|
下の地図の赤丸を見て頂きたい。 案内図の「冬住林道?」の線は「行政界」ではないだろうか? 道を示す実線は赤丸を横切り右側へ進んでいる。 |
|
「水源かん養保安林」の冬住林道の記載が誤りだとすれば、また新たな疑問が生じる。 「じゃあ、冬住林道の終点はどこ?」 右の写真は新田川渓谷沿いの助常林道脇に立つ「土砂流出防備保安林」の案内図を追記拡大したものである。 緑の矢印が指しているは助常林道である。 ここで注目したいのは黄色の下線で示した番号である。 保安林の区分番号と思われるが、上の「水源かん養保安林」の区分番号と合致するものがある。 319→2319 21 →2021 どうだろう、比較的新しい案内図である「水源かん養保安林」の区分番号は、頭に2000番台をつけて4桁に統一したと考えれば、同じ区分番号であると云えないだろうか。 だとすれば、上の写真にある区分番号2021の上に引かれた線は助常林道であろう。 以上の事から、冬住林道と助常林道の関係は下の地図のようになる。 つまり、冬住林道の終点は助常林道と交わる場所である・・・と。 注:思いつきなので確証はありません。 下の地図の黒丸をクリックすると拡大します |
|
マウスを乗せると画像が変わります。 |