金山隧道                             2009/4/11実施

 
 金山隧道は常磐線竜田駅と富岡駅の間にある長さ1,654mのトンネルである。 動輪を象った日本鉄道の紋章を掲げる南側抗門はその筋では有名で、数々のサイトにその雄姿を 見る事が出来る。
隧道へのアクセスは藪中を通らなければならないとの情報から、冬枯れの季節に訪れたいと考えていたのだが、 年明けからの体調不良に、桜咲く季節の探訪となってしまった。
2009年4月11日、体調に不安を感じつつ金山隧道を目指した。
 
 
 
2009年4月11日13時49分
当初、金山隧道へのアプローチは常磐線と平行する国道6号線の最短ルートを考えていたのだが、下るべき道は背の高い藪に覆われその軌跡を確認することは困難であった。 それに加え、休日の国道は横断に戸惑う程の通行量で、ガードレールを跨ぎ法面を下る姿は衆人の眼に怪しすぎ、断念せざるを得なかったのである。
急遽、線路脇からのアプローチに計画を変更し、竜田駅を目指す事とした。
竜田駅近辺の地図を用意していなかった為、勘をたよりに到着したのが、写真に見えるこの小さな墓地で、右側の砂利道が常磐線の保線用入り口である。
 
 
 
2009年4月11日13時49分
カメラを右側に振ると砂利道の先は常磐線である。架線が鉄道の所在を示している。
道は普通トラックが躊躇なく進入出来る幅を持ち、固く踏みしめられたダブルトラックに幾分の安堵を感じた。
 
 
 
2009年4月11日13時51分
写真は竜田駅側から北方向を写した物である。
この道の先には金山トンネルがあり、そして目指す金山隧道がある。
 
 
 
2009年4月11日13時54分
線路脇の道は幅もあり、踏み固められた轍は歩きやすい。しかし、ご覧の通りこの開放的な状況は、線路脇を歩く私の姿を天地に晒し、私の心中は穏やかさとは遠い所にあった。
何よりも、道すがら眼に入った信号の色が青に変わっていたのである。
線路脇を通る事を予定していなかった私は時刻表さえ確認していなかったのである。
いつ来るか分からぬ列車に耳をそばだてながら、姿の隠せそうな場所を眼で探しながら先を急ぐ。
道の左側には線路と平行に小川が流れており、一箇所だけ細い丸太を渡した橋があった。
ふと、微かだが踏み切りの警報機の「カンカンカンカン」という音が背後から聞こえてきたのである。
丸太橋を過ぎてその先を歩いていた私は、辺りを見廻したが身を隠す場所は無かった。
確かに警報機の音が聞こえてくる。
私は踵を返し、先程の丸太橋を渡り小川の向こう岸の藪に身を隠した。
 
 
 
2009年4月11日13時55分
藪に身を潜め息を整える間も無く、下り列車がやって来た。
415系1500番台の4両編成である。
 
 
 
2009年4月11日13時58分
いわき駅より北の常磐線は未だ単線である。下りの列車が通った事からあと2,30分は列車は来ないだろう。
しかし、確信は無い。先を急がなければならない。
道はWトラックが切れ、真新しいコンクリートブロック敷きとなり、金山トンネルに続いている。
線路脇の轍がしっかりしていたのは、たぶんこのブロック敷きの工事が関係しているのだろう。
 
 
 
2009年4月11日13時59分
保線用入り口から約800m。金山トンネルに到着した。
目的の金山隧道はこのトンネルの左側に今も眠っているはずである。
 
 
 
2009年4月11日13時59分
保線用道路を外れ、進路を左に取る。
同じ目的の人達が作っただろう踏み跡は小川を挟んで土手の上に続いていた。
金山隧道の廃止時に旧線路の敷地はズリ捨て場となったと聞いたが、今登ろうとしている土手は石積みのようにも見える。
 
 
 
2009年4月11日14時00分
現行の線路より高い土手の上はこんな状態である。
桜の咲く季節とはいえ、東北の4月上旬はまだ冬の装いを脱がず、枯れ色の風情である。
しかし、イバラの刺が丸くなるはずもなく、無防備で突き進もうとすれば、手痛い反撃を食うこととなる。
 
 
 
2009年4月11日14時01分
天然のトラップを跨ぎ、潜り行くと藪の隙間から垣間見えるのは、自然物とは明らかに異質の物。。
 
 
 
2009年4月11日14時01分
目隠しのように立ち塞がっていた立ち枯れが切れ、目の前に現れたのは今を遡ること46年前にその役を外された、明治生まれの隧道。
常磐線で最長を誇る金山隧道である。
 
 
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