原町森林鉄道新田川支線 -4-                 2008/12/13実施

 
 新田川渓谷沿いの原町森林鉄道新田川支線の探索も三回を数え、未走破距離も、残すところおよそ1.7kmとなった。 1回で走破してしまう人もいる訳だが、単身である事と、ボンクラ的無計画さから、回を重ねる事となったのである。 前回、11月29日の探索は、チャリでの助常林道ツーリングなども絡めたこともあり、体力、気力の回復に2週間の時を要し、今日を迎える事となったのである。
 さて、今回の探索だが、上流側から探索した前回、新田第二隧道の北側坑口の位置を確認できず、山中彷徨の末撤収した事から、 今回は下流側から、道の途切れる場所、つまり、土中に埋もれた新田第二隧道北側坑口を目指す事とした。 もちろん、チャリ同伴である。
 
 
 

-1- 新田隧道をめざして

 
松落合線林道を登り切り、東北電力石神発電所の管理用にあると思われる駐車スペースに、今回もデポする。
三週間ぶりの再訪である。天気はあいにくのくもり空だが、予報通りなら、雨の心配はないだろう。
愛車ロッキー号も組み終わり、7時57分、出発した。
 
 
 
2008年12月13日07時58分
石神発電所の導水管が見えてくる。
昭和19年に発電を開始したというこの発電所は、64年経った今日も、健在である。
昭和の昔、森林鉄道はこの導水管の上を、15年近く走っていた事になる。
 
 
 
2008年12月13日08時01分
標高150m、空中回廊を行く。
僅かばかりの防護柵の外は断崖である。
岩を削り、道を作り、その上にレールを敷いたこの鉄道は、山肌に沿いながら上流へと向かっていくのである。
 
 
 
2008年12月13日08時02分
写真は仮設のステージではない、道である。
足場パイプの上にコンパネを乗せだけの仮補修の道は、この先、何度も出会う事となるが、設置以降 補修した様子はなく、風雪に劣化するのを、まかせたままである。
ただ、この補修道がなければ、この軌道跡を辿り行くことは、大変困難な事になるだろう。
ボケた写真で申し訳ない。デジカメの調子がいまいちのためであり、カメラマンのせいではない(たぶん)と思う。
 
 
 
2008年12月13日08時02分
「仮設ステージ」から振り返っての撮影。
堅牢な石積みと、暗渠は現在もその役目を果たし続けている。
 
 
 
2008年12月13日08時04分
土砂によって高さを増した切り通しを越えて行く。
総じて切り通しは枯葉が堆積し、見た目優しそうに見えるのだが、その下には大き目の砕石がいたる所に隠れており、 そう簡単にはチャリを通してはくれない。コケるのがいやならば、押して行くしかないのである。
 
 
 
2008年12月13日08時08分
ここはどう考えても、チャリを抱えて渡るしかない難所である。
しかし、この先で、バイクが付けたとしか思えない轍を私は見たのである。
貴方は、バイクを担ぐ人を見たことがあるだろうか?それとも彼は、軽々と、ガレ場を飛び越える事の出来る、 技の持ち主だろうか?どちらにしても、その光景を私は見てみたい。
(アッ!いたっ。ボブ・サップ・・?)
 
 
 
2008年12月13日08時10分
当たり前の話し、道には、枯葉だけでなく朽木も転がっている。枯葉を避けて走る事は、到底不可能ではあるが、 朽木はなるべく避けて行く事にしている。何故なら、ポキリと簡単に折れる時ほど、その音が、静寂な山中に響くからであり。 そして、その度に、ひどく後ろめたい気分になってくるからである。
 
 
 
2008年12月13日08時13分
見よ、この石積みを。
一段では飽き足らず、段を重ねて三段まで積み上げた、まるでダムの様な擁壁である。森林鉄道の敷設に、 どれ程の費用が掛かったのかは分からないが、この場所を見るだけでも、 林業及その関連産業が、当時いかに重要であったのかを、窺い知る事ができると思う。
 
 
 
2008年12月13日08時14分
道の先は見えても、早々、簡単には通してくれるはずも無く、その都度チャリを降り、頭を垂れてチャリを押す。 幾度となく、それを繰り返す。「いやなら帰れ」自問し、黙す。
山では、ボンクラも修行するのである。
 
 
 
2008年12月13日08時15分
写真はチャリ越しにみる新田川渓谷である。
標高は約150m、川原の岩も小石のようである。
この軌道には、勾配といえる勾配は無く、緩やかに、上流へと続いている。
 
 
 
2008年12月13日08時20分
文字通りV字形に切られた切り通し。
当時、どのような工具を使い、どのような工法で、どれ程の時間をかけて出来たのだろう。 その問いに、一つとして答えることはできないが、今、そこに、ある、という事実。
 
 
 
2008年12月13日08時22分
今もなお、崩れ続けるデンジャラスゾーン。 傾斜がもう少し大きかったならば、ここでチャリを手放す事となっただろう。 チャリを抱え、不安定なガレ場を慎重に渡る。
(写真にマウスを乗せるとアップになります。)
 
 
 
2008年12月13日08時23分
コンクリート擁壁が続く枯葉の道。
擁壁は腰の高さ程で、圧迫感が無く、辺りに優しい雰囲気を醸し出しいる。
二ツ森と名づけられたこの山の、頂にまでも軽く行けそうな気がしてくる。
しかし、その場に立ち見上げれば、それは、単なる気のせいである事が分かる。
 
 
 
2008年12月13日08時24分
朝霧に霞むアーチ橋。 すみません。嘘ついてました。単なるピンボケです。
ちなみに橋の下はこんな感じ。(写真にマウスを乗せて見て下さい。)
下もボケボケでした。(黙)
 
 
 
2008年12月13日08時25分
「一刀両断」この景色を見て出た言葉である。
この切り通しは他に比べて、奥行きもあり、何よりも高さがある。それ故に、中はちょっと薄暗く、 中を通る時は、圧迫感さえ感じるのである。 話は違うが、ここで切った石は、石積の擁壁などに利用されたのであろうか。
 
 
 
2008年12月13日08時27分
仮補修の道と擁壁の断面である。
上側を見れば、枯葉の装飾に平滑な道にしか見えないが、横から見れば、この通り。 写真手前の様に、いつ崩れても不思議のない状態が分かると思う。 勿論、ボンクラはチャリで行くのでした。
 
 
 
2008年12月13日08時32分
写真でお分かりになるだろうか、細い鉄柱に、紐を巻きつけた物を?
これは、この場所でしか見ることの出来ない、軌道跡唯一(私の記憶の中で)のガードロープである。
ただし、ガードしてくれる程、頼りがいがあるとは思えないが。
しかし、これが目印であることも、私は知っているのである。そう、この目印を辿った先にある物は・・!
 
 
 
2008年12月13日08時32分
人呼んで、新田隧道である。
デポ地を出発して35分、走行距離3.34km。今回の第一チェックポイントに到着した。
前回は、この場所を目標と定めての探索であったが、今日ここは、通過点の一つであり、そして、スタート地点なのである。
 
 
 
2008年12月13日08時37分
入洞。チャリのライトは気休めに過ぎず、頼りない光の先には枯葉の泥濘が待ち構えている。 一歩踏み出せば、足はズブズブと枯葉の下の泥に沈み、爪先の冷たさに、水が滲み込むのを知る事となる。
今日、私はある目的の為に、ゴム長を履いて来なかったのである。
私は、諦めて、バチャバチャと音を立てながら、明かりの先を目指した。
写真は出口から振り返って撮影したもので、フラッシュに、白く浮かび上がるのは手掘りの壁面である。黒い筋は雨水の跡であろうか?
 
 
 
2008年12月13日08時41分
写真は新田隧道出口から上流側を撮影したものである。
ここを起点に、この先1.7kmが未走破区域であり、今回、この区域こそが探索の目的なのである。
果たして、この道の先には何が待っているのだろうか?
果たして、チャリで何処まで行けるのだろうか?
そして何より、私は新田第二隧道に辿り着くことが出来るのだろうか?
2008年12月13日8時41分。天気くもり。
期待より、目の前の倒木群に不安を感じつつ、今、チャリを供に出発する。
 
 
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