原町森林鉄道新田川支線 -1-                 2008/11/22実施

 
季節は秋である
 雨の多い夏も終わり、枯葉が歩道を埋め尽くす秋が来たのである。
 舗道にイチョウの枯葉が舞うこの季節、山は初霜が降りているはずである。
 冬が一歩一歩その足音を近づけてきている今こそが、待っていた季節の始まりなのだ。
 そう、山へ行こう。  

 
2008年春、鉄道模型のレイアウト資料を探してネットを彷徨っていた私の眼に衝撃的な写真が現れた。 廃道・廃線・隧道と身近にありながら現実の生活の場から隔絶された過去の遺跡を探訪するオブローダーヨッキれん氏の「山さ行がねが」 のレポートの中に、正に身近にありながら、その存在さえ知らなかった原町森林鉄道新田川支線の遺構郡。
「新田川」の文字に私は仰天した。新田川は私の生まれ育った町の、余りに身近な川であったのだ。
はるばる遠方より我が故郷へ遠征を試みる程の物を、その傍らに居て知らなかったという事実。
「見てみたい!」その思いは日に日に強くなってきたのである。私は心に決めた、行かなければならないと。
 
 
 
 
2008年11月22日土曜日天気晴れ
私は愛車ロッキー号を伴い予てから思い描いていた彼の地に立った。
保安林の案内板のそばに車を止め。今日の主役たる愛車ロッキー号を組み立て終わったのは10時55分と 、初めての山道を行くにはあまりにも遅いスタート時間であった。
今日の山行は計画を立てた上でのものではない。ふらりと思い立って出かけて来たのである。
私は此処に来てなお躊躇していた。スタート地点に着いたものの、行くべきか、戻るべきかを。
しかし、ここまで来て戻るには余りに口惜しい、この道を走破した人は数あれど、チャリで行った者はいないではないか、 「取り敢えず行ってみるか」私はロッキー号のサドルに跨った。
さあ出発しよう。

写真は原町森林鉄道新田川支線と助常林道との合流地点である。
右側が県道62号線に繋がる助常林道で、左側の針葉樹のトンネルが原町森林鉄道新田川支線である。
期待より、不安が大きいまま私はハンドルを左に切った。  
 
 
 
2008年11月22日11時03分
スタート地点から約7分、鉄橋を渡る。
秋の山道を、枯葉を舞い上げながら颯爽と走る姿を心のどこかで想像していた私は、すでにこの辺で後悔をし始めていた。
この道は、下流へと続く一本道で軌道跡を見失うこはないが、ふわふわの枯葉で覆われたその道の下には、ささくれ立った大きな石が 隠れているのだった。
ここまで来るのに、何度、チャリの乗り降りを繰り返した事だろう?ペダルを踏んで進んだ距離はたかがしれている。
 
 
 
2008年11月22日11時06分
層を成して軌道跡を覆い隠す枯葉。
なんの躊躇もなくこの上をチャリで走らせることが出来るのは、勇敢などではなく、単なるボンクラの成せる業である。  
 
 
2008年11月22日11時08分
一歩踏み込むと、踝の上まで沈む枯葉の道、路肩の判別も曖昧となってくる。
さすがのボンクラもチャリに跨ることも侭ならず、押して進むこととなった。
深い枯葉の中を進むチャリはその身を沈め、ラッセル車のように、ただ、雪ではなく、カサカサと音を響かせながら 枯葉を押し分けて行く。
 
 
2008年11月22日11時15分
林鉄が走っていた当時は暗渠があったと思われる場所。
一筋の沢も、天候の変異で時には巨大なエネルギーと化し、行く手を遮る人造物など物ともせず破壊し、 押し流してしまうのだろう。
写真には無いが、川寄りにコンクリートの遺構が残っていた。
 
 
 
 
2008年11月22日11時23分
この道最大の難所に到着。
数々の廃道、廃線跡をことごとく踏破してきた「山さ行がねが」のヨッキれん氏でさえ 「最大規模の崩壊決壊」と言わしめたその場所である。  
 
 
 
一度や二度の崩落などではなく、何度となく押し寄せては堆積していった土石に、道は完全にその機能を失っている。 滑り台のようになった瓦礫の坂を転げ落ちた巨大な岩石は川まで落ち、瀬を作ったのだろうか。
 
 
 
 
写真は、崩落地から谷を望遠したものである。
数トンはあろうかと思われる岩石が転がっている。  
 
 
 
写真は崩落地点とその谷側を写した物である。
川原の岩石は、鉄道建設前からそこにあったのか、元々軟弱であった山肌を削りとった所以のものなのかは 知る由もないが、もしも、人の手が入らずにいたならあの岩岩は、今も、川の水に晒されることなく山の上にいたのかも しれない。ふと、そんなことを思ってしまった。 しかし、現実問題として、チャリを担いでこのデンジャラスゾーンを渡ることが出来るのだろうか?
結果、単身ギリギリで横断する事は出来たが、川原に迂回路を取る事も出来ず、チャリを向こう側に放り投げる腕力も無く、 数度となくトライすれども結果は悪くなるばかりで、体力も限界となり、撤収を覚悟した。  
 
 
 
2008年11月22日11時42分
撤収。写真は崩落地点から程近い場所にある広場の石崖である。
枯れ色の山中にあって、晩秋の太陽に際立つこの緑にさえ、私の心に浮き立つ感情は芽生えなかった。
私は疲労と訳の分からぬ虚しさに、逃げるようにこの地を後にした。  
 
 
 
2008年11月22日12時15分
助常林道との分岐点に到着。 全て、無計画さの結果である事は分かってはいても・・。
原町森林鉄道新田川支線探訪は1.1kmで終了した。  
 
 
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