続、山チャリ事始め

 
 2008年5月10日土曜日私は「ちょと出掛けて来る」と家人に言伝し、地図さえ持たず、近所にたばこを買いに行くといった趣で、 高瀬川渓谷へとチャリで出掛けたのである。 それが私の山チャリの第一歩であった。  
 

2008年5月10日 高瀬川渓谷を目指して

 高瀬川は、私が住む町を流れる二つ川の一つで、西の阿武隈山系に源を発し、町の北側を流れる請戸川と合流し 太平洋へ注ぐ川である。
 高瀬川渓谷はこの川の山間部を指し、福島県の自然公園に指定されている場所でもある。

 今を遡る事49年前、この渓谷沿いを木材を満載した鉄道が走っていたという。
その名を「浪江森林鉄道」と云い、明治35年に開通した後、数々の支線を増設し、昭和35年に全線が廃止されるまで約60年間、 この地の基幹産業を支えてきたのである。
今も、その時の遺構が散見できると廃線跡を探索する方々のサイトには記されている。

 この日私の頭にあったのは、身近にあるというその遺構を「ちょっと見てくる」という安易なものであった。
山に続く道を、道なりに行けば良いわけで、疲れたら其処を終点とし戻ればいい、そんな思いで西を目指して出発したのである。  
 
 
 

第一号隧道 神鳴隧道

 高瀬川の川沿いの道をひたすら上流へとペダルを漕ぎ、途中大堀相馬焼きで有名な大堀地区を過ぎ、いよいよ山道の雰囲気出始める小丸地区に入る道は勾配といい、幅員の狭さといい、完璧に息が上がってしまう場所であった。
 新緑の木々に覆われた道はかつての森林鉄道跡であり、高瀬川に寄り添いながら上流へと続いている。
写真は浪江森林鉄道の遺構の一つ神鳴隧道である。
カーブを描くこの隧道の巾は狭く、近年の補修こそはされてはいるようだが、森林鉄道の趣は今尚消え失せてはいないようである。
 
 
 
 

神鳴支線 2008年5月10日14時13分

やっとの思いでサドルを降りたのはこの場所、県道35号線(いわき浪江線)と県道256号線(落合浪江線)の交差地点より西に3.4kmの地点である。
神鳴隧道を抜けてすぐの川原に立つ浪江森林鉄道の遺構、神鳴支線の橋台である。現在地  
 
 
 

神鳴支線 2008年5月10日14時15分

 写真は川原に降り、対岸を写したものだが、小さな沢の向うに神鳴支線と呼ばれた鉄路も、道と呼べる物さえあった事も、俄かには信じ難い風景となっている。  
 
 
 

第二号隧道 一ノ宮隧道

 神鳴隧道からおおよそ900mでこの道二つ目の隧道に出会う。
一ノ宮隧道は坑口こそ神鳴隧道と双子のようであるが、ご覧の通り直線的で短い隧道である。  
 
 
 

休憩所

 一ノ宮隧道を抜けると真新しい駐車エリアが現れる。
三十台は留め置ける程のスペースに水洗式トイレも完備されており、屋根付きのテーブルや磨かれた石のベンチもあり、相当の予算が掛けられている様子である。 しかし、当局の思惑が知れ渡っていないと見え、私が訪ねたこの日、駐車していた車は行き帰りを通して見た三台だけであった。  
 

不思議の堰

 一ノ宮隧道脇の休息所から西へ600m程行くと、眼下に堰が見えてくる。
落差3m程の涼しげな滝を作るコンクリート製と思われる堰ではあるが、向こう岸の洞穴がお分かりになるだろうか。 堰の上流と下流にある洞穴は間違いなく繋がっているものと思われ、その目的は堰を迂回する「魚道」だろうか?
手掘りの風情がなんともいえない味をだしていると思う。(写真にマウスを乗せて下さい。)  
 
 
 

戸神山参道

 不思議の堰より2.7km、戸神山登山口に到着する。
写真は登山口から橋を渡り振り返っての撮影である。チャリでどこまで行けるかと、頑張ってみたが、橋を渡った先で待ち構えていた坂で敢無く反転となった。 現在地  
 
 
 

戸神山参道から望む高瀬川渓谷

 写真は戻る途中に、橋の上から望んだ高瀬川渓谷である。
五月の渓谷は新緑に覆われて涼しげであるが、秋には紅葉が川面を照らしだすのだろう。  
 
 
 

高瀬川発電所

 戸神山登山口から2.7km、東北電力高瀬川発電所に通じる「かんとう橋」に着く。
長さ70mの板敷きのトラス鉄橋は東北で一番の長さであるという。
この橋は元を辿れば浪江森林鉄道の鉄橋であり、サイト<街道Web>には、この橋の上を、材木を満載した貨車を引く機関車の写真が掲載されている。  
 
 
 

最終到着地

 地図を持たないの思いつき山行の終着は写真の木橋の上となった。当初、漠然とではあるが古道川発電所をゴールと考えていたのだが、 ボンクラの曖昧な記憶は高瀬川発電所と古道川発電所を勘違いし、渡るべき橋を渡らず、県道を外れ、三程林道(後日判明)へと迷い込んだのであった。
進む程に増して行く勾配に体力の限界を感じつつも、意外と思われるが、足を投げ出しゆっくりと休息する場所が見つからなかったのも事実であり、 その事が先へ先へとチャリを進める結果となったのである。
そして、ご覧あれ、私をこの山中まで運んでくれたチャリの姿を。
そして、想像して頂きたい。タイヤ口径24インチの子供用チャリを立ち漕ぎだけでここまで来た男の姿を。
そして、その時、男は何を思っていたのか?
往復42kmの山行で、男は思っていた。  
 
 
サドルにどっかり座り、
思いっきり足を伸ばして走りたい・・・。


−完−  
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