中丸木林道を行く −その2−

 
 2008年6月7日、時刻は12時12分。とうにお昼は過ぎてしまった。
中丸木林道北側入り口より距離にして3.5km、標高350mはおおよそ240mを登った事になる。
だが、この道のピークに立つにはあと250m登らなければならないのである。
 ふー、やっと、半分・・・。

下に現在地を示す。
 
 地蔵の石沢
 
  写真は、真新しい砂防ダムが作られた支流に架かる橋である。
橋と書いたが、ガードレールも柵さえも設置されていない事から、これは暗渠と言った方が良いのだろうか。
 沢を跨ぎ湾曲する上り道、私的に大変好ましいレイアウトである。(笑)
 沢沿いの道は、チャリ同伴の身には厳しい坂道となっていた。
チャリを押し登る程に強くなる瀬音に谷を望めば、沢は段を重ねる名も知らぬ滝となり、白濁の飛沫を弾かせている。
 ひたすらチャリを押し続ける。
道は一段とその高さを増し、沢との差を広げていく、耳に届く瀬音も微かなものとなった。
 ブナの木だろうか、すっくと伸びる幹に目線を下ろして行くと、根が川底にあった。(驚)
そんな事もあるのだろうが、私的には不思議な光景である。
しばし、佇む。
 
 中丸木林道走破まで、あと1.4km
 
 道は尚も下る事を良しとしないようである。
だが、日の光が強くなってきている、そんな気がする。
森を抜けつつあるようだ・・・。
 12時24分、標高430m、地蔵の石沢から80m登った。
道脇の少し広くなった場所で小休止。
陽だまりの奥に"山神様"の鳥居。
その先には道があるようだが、何故か近づき難いのである。  
 右に現在地を示す。
Aと記したのは右上の写真の場所で、Bは左上の"山神様"の場所である。
 (画像上でクリックすると拡大します。)
 
 標高460m〜520m
 
 "山神様"より約10分。
道端にベンチのような物が・・・。
ベンチというには、かなり手抜きな作りではあるが、その脇には沢へ下りる確かな踏み跡が見て取れる。
この場所の意味する所を知るのは後の事である。
(画像上でクリックすると拡大します。)
 まるで木琴のようなベンチから少し行った道端に景色にそぐわないカラフルな物。
一体何人集まっていたんだよ、とツッコミを入れたくなる、コーヒーの空き缶!
山で生計を建てる人達の仕業ではないだろうが、情けない事である。  
 道はいつしか中丸木の沢を離れ、東へと向き変えている。
山側の斜面も心持緩やかになってきた。
道幅も一段と狭くなり、ダブルトラック中央の緑が際立っている。
 右の写真は振り返っての一枚である。
沢を離れたといっても、左は谷である。
こんな場所では車同士の離合も叶わないだろう。
チャリであることに安堵するのである。
(画像上でクリックすると拡大します。)
 
 中丸木林道走破す!
 
(マウスを乗せると画像が変わります。)   道脇に廃屋が・・・。
廃屋というには、あまりに崩れ過ぎている。
辛うじて屋根が乗っている状態であり、それさえもいつまでも持ち堪えるものではないだろう。
かつて林業関係の作業小屋であったと思われるが定かではない。
それよりも、本日二度目の"妖しい奴"との対面である。
小屋に近づくまで気が付かなかった(汗)
(画像上でクリックすると拡大します。)
 時刻は12時53分。
前方にゲートが見えた。
正確に言えば、ゲートの支柱であり、北側入口と同じく遮断する物は何も付いてはいない。
どうやら、ここが中丸木林道の南側入り口であるらしい。
 写真はゲートを越え、振り返っての一枚である。
ゲート近辺にこの林道を標す物を見つけることはできなかった。
北側ゲートより距離にして5.6km、標高差430mの道を、チャリと共に1時間38分を掛けて走破した。
 右に今走破した「中丸木林道」を示す。
御覧の通り、「中丸木林道」は山中深い所でそのゴールを迎えた訳だが、当初予定の国道288号線までの道のりはまだ相当の距離を残している。
そして、この道のピークである標高590m地点はまだこの先であり、そこを本日の昼食の場所と考えている私にとってゴールとする場所は未だ遠いのである。
 中丸木林道南口ゲートを出てすぐ、地図にはない測道の入口があった。
だが、誰もが自由な行き来を許されている道ではないようである。
ダブルトラックの道は標高669mの東大森山頂へ続く道であろうか?
鎖の新しさから察するに、最近も使われている道であろう。
(いつか行ってみたいものである。)
 写真は近くに建っていた浪江営林署の看板である。
そこに記されている、
「この附近は・・沢山国有林です」
"・・"の部分の妙な空白が非常に気になる。
この辺りは"沢山"という名の地区なのだろうか?
それとも、"××沢山"という名前なのでしょうか?

看板を前に暫し悩む私。
「????」
 
 いよいよピーク
 
 南口ゲートを過ぎて道の雰囲気が開放的になった。
空を覆っていた木々も道脇に退き、陽光溢れる尾根道となったようである。
 ピークが近づいている事を実感する。
 道は行政界を越え大熊町に入ってる。
(画像上でクリックすると拡大します。)
 上り続けた道がいよいよその終焉を迎える。
ピークは思い描いたような近辺を見渡せるような場所では無く、若葉生い茂る森の中であった。
 右の写真の道先には待ちに待った下りの道が続いており、それを確認した私は少し戻ったここで昼食を摂る事としたのである。
時刻は12時58分とランチタイムには遅い時刻となってはいるが、後はチャリで下るだけである。
焦る事は無い。
道脇にチャリを停め、デイパックから握り飯を取り出した。
(画像上でクリックすると拡大します。)
(マウスを乗せると画像が変わります。)  13時2分、座る事もままならぬ道端の昼食を早々に切り上げ下山を開始する。
ピークまで約1時間40分、そのほとんどはチャリを押す事に費やした私にとって、 今まさに、タイトカーブが続く未舗装の道を下り行く時間は、至福の時なのである。
 私のマウンテンバイクに対するイメージ、砂塵を巻き上げ、砂利を弾き飛ばして・・・
びゅーーん。
ざあーーー。
気持いい・・・。(怖いけど。)

写真は多少チャリでの下りに慣れつつある頃、差し掛かった分岐点である。 普通に考えれば、道なりに右手方向に進むのだが、そこを過ぎる時、脇道が舗装されている事を見たのである。
国道288号線に続くこの道の途中にダムがある事は調べていて知っていたのだが、恥ずかしい話し今日は地図を忘れてきたのである。
私の頭の中には、ダムには専用の管理道路があって、それは舗装道路である・・・。
 その勝手なイメージに慌てて引き返し、舗装されている脇道へと、私は進路を変えたのである。
・・・・・。
(画像上でクリックすると拡大します。)
 
 まだ見ぬ・・ダムを目指して
 
  地図を持参しなかった私が、名前さえ定かでないダムを求めて下って来た場所が、右の写真である。
ピークを出発してから約15分、標高差250mを下って来た。
道はここまで全て舗装されており、道幅も未舗装道との分岐点近くを除いてほぼ1.5車線といった所だった。
しかし、目指した"ダム"は無かった。
道を間違えたのである。
それが証拠に、上の写真の赤丸の場所を望遠で撮影したのが下の写真である。
 
マウスを乗せると画像が変わります。
 いったい、ここは何処なのだろうか?
暫くの間、現実を飲み込めないでいた私が目にしたのは、大型トラックが唸りを上げて通り過ぎる風景であった。
そこで、やっと気付いたのである。
どうやら、国道288号線に出たらしい・・・と。
マウスを乗せると画像が変わります。   さて、もう一度件の分岐点を確認してみよう。
 写真の通りである。
 道なりに行けば"ダム"を目指した本来の計画通りに事は済んでいたのである。
 初めての道を行くのに、地図を忘れるとは・・・。
さすが"ボンクラ"である。
(画像上でクリックすると拡大します。)
結果、「中丸木林道」は走破したものの、"万右ェ門ダム"を見る事なく、ショートカットして国道288号線へと行ってしまったのである。
 下の地図の赤色の実線が今回のチャリと共に走った道で、赤色の破線は当初予定していた道である。
 さて、地図も持たないイメージ先行の林道探索ではあったが、そう悪い事ばかりではなかったようである。
写真の道を塞ぐ堅固なガードレールの先は、昼なお暗い、緑が鬱蒼と繁茂する廃道である。
 下にこの道が打ち捨てられた理由となる「望洋平トンネル」の写真を置いたが、嘗てこの道は国道であったのだ。
道を間違えた偶然が、私を此処に導いたのである。
(結果オーライであるが・・・。)
 「望洋平トンネル」は全長440mで竣工は1998年とある。
このトンネルが完成したことにより、熊川沿いの落石の多い隘路は廃道となったのである。
 距離にして約370mのその道は、10年の歳月を経て今も人を通す事を良しとするだろうか?
「行って見たい。」
新たな目標が芽生えたのである。(笑)
マウスを乗せると画像が変わります。
 
 おわりに
 
 "砂塵を巻き、砂利を撥ね、水を割って疾走する"はずの初のマウンテンバイクでの林道探索は、 未舗装道は、ほぼ押し、下りは舗装道をブレーキかけまくりといった、脳内イメージと程遠い物であった。
 しかし、地図上のか細い線を己の足のみで辿る事が出来た事を素直に喜びたいと思うのである。
 2008年6月7日、「中丸木林道」走破の覚書。
 全走行距離:44.82km
 中丸木林道:5.57km
 測道から国道288号線までの距離:約2.9km
 最大高度:590m(国土地理院の地図上での数値、私のGPSは556mを示していたが・・・。)
 
 
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