原浪トンネルを行く

 
 浪江町から南相馬市へ行く道は幾通りもあるが、チャリで行くなら初めての道を行きたいと思うのである。
そんな理由で選んだルートは、国道114号線を西に向かい、途中県道49号を北上し南相馬市へ抜ける道である。 何故なら、その道には私にとって初めての「原浪トンネル」があるからである。
「原浪トンネル」は平成12年3月に竣工した全長1、612mの南相馬市(旧原町市)と浪江町を結ぶ平成生まれの新しいトンネルなのである。
 
 
 

トンネル祭りの始まりだ

 2008年10月11日 土曜日
快晴と言える天気ではないが、チャリ乗りには薄曇りくらいの方がちょうど良い。
自宅を出たのは13時半と、初めての道を行くのにはどうだろうといった、相変わらずのボンクラ的ツーリングの開始である。
写真は自宅から約13km、福島市へと続く国道114号線の最初のトンネル「千人沢トンネル」の東側口である。
写真左端にある看板からも分かるが、左に折れれば大柿ダムへと通ずるのだが、その先には堅固なゲートが待ち構えており、関係者以外がダムへ行く事はできないようだ。
ダム好きという訳ではないが、納税者として腑に落ちない措置であると、ちょっと憤慨してみる。  
 
 
 

千人沢トンネル

 
 小市民的憤りはさておき、トンネルである。
ここまで登って来る間、大型ダンプを含め、かなりの交通量にトンネル内走行の不安を感じていたのだが、なんと、トンネル内には広い歩道が車道より 一段高く設置されており、正直ほっとした。
もちろん、絶対の安全が保障されている訳ではないけれど。
それにしても、すごい音である。
車がトンネルに入って来る度に前から後ろからと、トンネル内を響き渡る音は、正に轟音であり、身体が押されるような感じがする。
 
 写真は「千人沢トンネル」内の標識である。
御覧の通り、東口から310mの地点であり、残りは710mありますよ・・って。まだそんなにあるの?
 
 おおっ、やっと出口が見えた。
いくら歩道があると言っても、すぐ脇を轟音をあげて走り抜けて行く大型自動車に気が休まる事は無く、先が見えた安堵に自然とペダルを漕ぐ脚にも力が入る。
出口まであと50m。
 
 写真は「千人沢トンネル」西口にある銘板である。
1981年3月竣工、長さは1024.44mと1kmを越えている(長かった)。
巾は9.0m(6.0m)とあり、歩道部は両側合わせて3mあることになり、 片側は最低でも1.5mの巾があることになります。
チャリ乗りには大変好ましい。(笑)
 

沢中トンネル

 「トンネル祭り」と書いたが、上の地図でも分かるように大柿ダムを中心にトンネルが集中している。
今通過した「千人沢トンネル」を筆頭に、あと三つのトンネルを行かなければならない。
「千人沢トンネル」から約300m、本日二つ目となる「沢中トンネル」が見えてきた。
 
※画像にマウスを乗せると変わります。  
 
 
 
 千人沢トンネルでは何を焦ったのか、トンネルを抜けてからの銘板撮影となったので、今回は入洞前に撮影を・・・。
竣工は1982年3月、千人沢トンネル竣工の翌年となっている。
巾は9.0mで同規格ですね。
 
 長さ140mはこんな感じ。
直線であることもあり、入ってすぐに出口が見える照明もいらないような明るいトンネルです。
 
 

歩道一人占め

 「沢中トンネル」を抜けるとやや登りの道が続き、標高190mをピークに下りに転じて、本日三つ目となる「大柿ダム」 へ入っていく。
写真では登りが続いているように見えるが、奥に見える橋を過ぎた辺りから若干下っているのである。
 まあ、気休め程度ですが・・。
気休めで思い出したが、この道のトンネル付近は写真のように縁石で歩道が区画されている。
勝手な想像だが、この歩道は大柿ダムや下流にある不動滝などの渓谷鑑賞を目的とした、遊歩道の意味合いも考えられる。
ただ、季節柄もあるのだろうが、この歩道でチャリ1台、人っ子一人出会う事は無かった。  
 
 
 

金谷峠入口?

 写真は上の写真にもガードレールの一部が写っているが、南相馬市小高区の西にある八丈石山(507m)へ通じる道の入口であり、 その八丈石山の北には「金谷峠」という名の峠があるらしい。
行った事がないので、らしいと言葉を濁しているのだが、地図上の「峠」文字とその響きに行きたいと思う場所なのである。
おっと、それともう一つ。今気付いたのだけど、沢中トンネルの西口から大柿トンネルの中間までの国道114号線は南相馬市なのね。
 へぇ〜。(上の地図を確認しましょう)  
 
 
 

大柿トンネル

 
 
 
 
 沢中トンネルより約400m、この地区の名を戴くトンネルと対面する。
「大柿トンネル」長さ470m、1981年12月竣工と「千人沢トンネル」と同い年ではあるが、9ヶ月程若いトンネルである。
 

新旧大柿橋

 やや右にカーブを描く「大柿トンネル」を抜けると歩道脇に写真の看板が設置されている。
こうして見ると、このダム湖ずいぶん蛇行しているのね。まあ、普通なんだろうけど。  
 
 
 
 「大柿トンネル」を抜け400m程進むと請戸川を跨ぐ「大柿橋」へと出る。
下を覗き見れば、おおっ!橋だ!
橋の下に、橋である。
 大柿ダムの完成に、嘗ての国道と共にその役を終え水底に消えた旧「大柿橋」その親柱には昭和9年4月竣工「おほがきはし」と刻まれているという。
このダムの常の姿を知るものではないが、ダム満水時であったならばその姿を見る事は無かっただろう。
泥が堆積した床板と束柱に引っ掛かった流木が、「捨てられた橋」という事実を際立たせている。  
※画像にマウスを乗せると変わります。  
 
 

矢具野

 新大柿橋を渡ると渓谷沿いの道では珍しく、直線道路となる。その距離、1000m。
緩やかに登る道先にはトンネルが口を開いて待っている。
 
 
 

 
 トンネル入口の前には橋が架かっていた。
矢具野大橋と名付けられた橋は、ここで再び請戸川を跨いでいる。  
 
 
 
 ん??
ここでちょっとバック・・。
 あれ?
 なーんか変?
歩道脇のこのスペースちょっと変じゃない?
道路みたいなんだけど、歩道の縁石で塞がれているし・・・。
この白くかすれているのは、センターラインだよね。

答えはトンネルの向こう側にあった。  
※画像にマウスを乗せると変わります。  
 
 
 さて、この矢具野大橋、随分とお金が掛かっているような・・・。
欄干もきれいに赤く染められているし、なによりもこの親柱の上に載っているブロンズ像、「鮭」・・か?
鮭って?
大柿ダムが出来る前までは、ここまで鮭が上って来たという証なのだろうか?
うーん、わからん。
矢具野大橋、昭和61年(1986年)の竣工である。  
※画像にマウスを乗せると変わります。  
 
 
 取りあえず「鮭」の謎は置いといて、本日四つ目となるトンネルである。
 
 
 
 
矢具野トンネル
1987年11月竣工は、1982年3月竣工の沢中トンネルから遅れること5年半、今日通ってきたトンネルの中で一番若いトンネルである。
189mと長いトンネルではないが、始めから終わりまで、緩いカーブを描くトンネルである。
 

昼曽根

 
 
矢具野トンネルを抜けると、道は昼曽根集落と入っていく。
道脇の雰囲気も先程までとは違って、どこか人の生活とでもいうような物が感じられる。
 
道は尚もカーブを描きながら上り続ける。
 
 請戸川に沿い、谷を渡る橋の向うに見えてきた建造物は、1913年(大正2年)6月に運転を開始したという、 最大出力500kwの昼曽根発電所である。  
※画像にマウスを乗せると変わります。  
 
 
さて、先程の矢具野大橋前の塞がれたアスファルト道路の謎であるが、右の地図を御覧頂きたい。
破線の赤丸が矢具野大橋のたもとで、その先を辿り行けば、目の前にある古めかしいコンクリート製の橋に出るのである。
矢具野トンネルが完成するまで、国道はあの橋を渡り大柿トンネルへと続いていたのだと思う。
矢具野大橋に続き、矢具野トンネルが完成したその時、道は国道の肩書きを外されたのだろう。
※コンクリート橋の詳細は?えーと、その内再訪して見てきます。
 

ちょっとヨコミチ

 
 
写真は東北電力昼曽根発電所である。
最大出力500kwは、この町のもうひとつの水力発電所である高瀬川発電所(最大出力5,800kw)の十分の一と小さいが、 高瀬川発電所より13年も前に運転を開始した、当年85歳の現役である。
建屋もこじんまりしていて良い感じ、フェンスの修繕だろうか、作業をする人達がいた。

※電力土木技術協会 水力発電所データベースより
 
写真は昼曽根発電所の導水管である。
有効落差46.97mの導水管は国道の下を潜り発電所へと続いている。
 

原浪トンネルへ

 昼曽根発電所を過ぎると真新しい青看が見えてきた。
看板には「原浪トンネル」の文字、今回の目的地である。
 
※画像にマウスを乗せると変わります。  
 

 
 国道114号線を右折し、県道49号原町浪江線へと進む。
回りの地盤より低く、山肌に潜り込む漆黒の半円、「原浪トンネル」である。  
 
 
 
写真はトンネル入口前の看板であるが・・・。
はて?「社会実験のため、一部照明を消灯しています」とは???
何それ「社会実験」って?
 
 15時01分、原浪トンネル南口に到着した。
自宅を出発して1時間半、走行距離は17kmである。  
 
 
 
本日五つ目のトンネルの概要は?
2000年3月竣工、全長1,612m、巾7.0m
長さは「千人沢トンネル」を軽く500mも越えて、本日最長の長さである。
しかし、巾は2mも狭いのね。
これは、国道と県道の違いなんんでしょうか?
 
写真は歩道を写したものである。 巾は50cm位でしょうか? 狭っ!
この上をチャリで行けるだろうか?
 
狭小歩道のチャリ走行は5mほどで敢無くダウン。
やっぱり無理でした。
チャリのリアには点滅ライトを装着しているが、後ろから来る車にそれがきちんと確認されるかどうかは不明である。
ここはやっぱり車道を行くしかないと、正に必死で漕ぎました。
途中、待避エリアで小休止し、車が切れるのを待って再び全力走行といった具合で、写真は出口が見えた所でホッとして撮った物である。 故に、トンネル内の写真はないのです。
 
15時10分。原浪トンネル走破。
写真は南相馬市側の入口を振り返って撮影したものである。
しかし、このトンネルは歩道の狭さといい、よく分からぬ実験の為の照明の暗さといい、 人や自転車が通行する事を、全く想定していないと言えるだろう。
帰路に、ここを再び通る事は考えられなかった。
 

南相馬市街地を目指して

 原浪トンネルを出ると県道49号線は南相馬の市街地までほぼ下りの道となる。 
 
 
 
写真は原浪トンネルより約5km、鉄山ダムである。
下りを得意とする私のチャリは(笑)あっというまに私をここまで連れて来てくれた。
ここで小休止。
現在の地図には「鉄山ダム」と記されているが、それは最近の事であり、建設当時は「鉄山ため池」という名称で、昭和13年に竣工している。
下流に「横川ダム」が建設されるまでの間、地区の灌漑用水の要の役を担っていた。
 
鉄山ダムから道は大きなヘアピンを描いて太田川と下って行く。
太田川を渡る時、古びた橋が視界に現れた。
「横川橋」昭和33年の竣工の旧道に掛かっていた橋である。
現役を退いてどれ程経つのだろうか、今は風景の一部と化している。
 
右の地図は現在地を表す。
赤丸は鉄山ダムでの撮影ポイントである。
 
太田川に沿って北東に伸びる道を2.5km程行くと、「赤根トンネル」に出る。
写真はトンネルを抜け、左に分岐する道脇に立っていた案内板である。
案内板に記されているように2km程この先を登って行くと、国見山(標高563.7m)の登山口に出るのである。
私が初めて国見山の頂に立ったのは、まさにこの「赤根沢登山口」からであった。
かなり昔の話しである。
 
写真は思い出したように、振り返り撮った「赤根トンネル」である。 先を急ぐあまり「赤根トンネル」の銘板を確認していないが、※竣工は1978年(昭和53年)全長94mのトンネルである。
※「tunnel web」より
※画像にマウスを乗せると変わります。
 
 
下の地図は赤根トンネルとこれから向かう「滝トンネル」近辺のものである。
 
写真は滝トンネルへ向かう途上を撮ったものであるが、道路はちょっと変則的な趣となっている。
地図では1本の線で表されているが、ある地点から上り、下りの専用一歩通行線となり、チャリとて反転逆行は出来ないのである。
 
下り車線のガードレール越しに見えるのは横川ダム(1984年竣工、重力式コンクリートダム)である。
 
トンネルが見えてきた。
"トンネル祭り"のシメを飾るのは「滝トンネル」
※1977年(昭和52年)竣工、全長157m。
本日、7箇所目となる。
※「tunnel web」より
 

ラストラン

 滝トンネル抜け、ヘアピンカーブの下り坂をリアブレーキを鳴らしながら落ちて行けば、景色は秋の田園風景へと変る。
文字通り、今日のツーリングの山場が終わったのである。
ペダルを漕ぐ程に、私にとっての日常が近づいて来る。
安堵感と一抹の寂しさ、そして煩わしさが胸の内にない交ぜに溢れてくる。

下の地図は、私が来た道と、これから行こうとする道を示したものである。  
 
※画像にマウスを乗せると変わります。 黄金色に色づいた田圃を貫く道の先に見えてきた青看板、その"青看"が示す通り、県道49号線は信号より先、しばらくの間県道34号線と共用となるのである。
現在地は、上の地図で"A"と記した場所である。
 
信号を右折し。県道34号線に入る。
現在地は、上の地図で"B"と記した場所である。
※画像にマウスを乗せると変わります。
 
県道34号線から左折し市街地に続くこの道は、この地を住まいとしていた当時"産業道路"と呼んでいた道である。
幅広で長い直線道路は現在の原町火力発電所建設の為作られたと記憶している。
実家までの距離は、残り4kmとなった。
時計は15時38分を指していた。
 

おわりに

 2008年10月11日15時50分、実家到着。走行距離32km、自宅を出発してから2時間20分が経過していた。
 翌日の昼近く、再びチャリに跨った私は海沿いの道を南下し帰宅した。
走行距離28km、1時間50分の海沿いのサイクリングは天気にも恵まれ、私の好きな初秋の海を堪能することが出来た。
 海沿いの写真が無いのは、デジカメのメモリーカードに空きが無かった為である。
撮影枚数を考え画像の大きさ等を設定すれば良かったのだが、気付いた時は後の祭りであった。
 感覚先行で行動する相変わらずのボンクラ的ツーリングの軌跡は下の地図の通りである。
一周約60kmの距離である。まともな人なら朝出発して、昼前には帰宅となるだろう。(笑)

 
 
 
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